Growin up After Laughter
とあるビルの屋上にて
草薙:で、サリンジャーの線を追ってるって?
トグサ:ええ。
草薙:確かに彼は『笑い男』という名の短編を残しているし、物語と事件との類似性を示す輩も少なくない。 でも、その著書に関しての解釈は特捜本部によって分析が済んでいる。作品の解釈が事件を解決する鍵にはならないと思うけど。
トグサ:文学は現実を模倣する。だったらその逆だって。俺はあの授産施設であった『彼』が、本物の『笑い男』の様な気がしてならないんです。
草薙:あなたがその『彼』を本物であると考える根拠は何?
トグサ:少佐は『笑い男』のマークに書かれている文字の意味を知っていますよね?
草薙:「オンバが何よりも先にやったのは、主人のためにその仮面を取り返すことであった」。短編『笑い男』からの引用という話ね。
トグサ:ええ、でも俺が施設で見つけたマークでは違ったんです。 「耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えたんだ」 こっちは、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』からの引用です。 これらは彼が見出した答えの一部なんじゃないでしょうか? 沈黙を破り世に出て行くべきかどうか? それを考え抜いた末に見た何か。 少佐にもこんな心理ありませんでした? 好きなアーティストを真似ようとするときなんか、出来るだけ完全なモノマネをしようとすることでオリジナルに近付こうとするでしょう? もしも彼自信が何者かの模倣者であり、オリジナルが使っていたのが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だっとしたら? オリジナルの人物像が自分と重なり、それに近付こうと模倣を重ねる。しかし、世に出ようとした時に変えた。自分の『個性』を出してみたくなった。 例えば、カヴァーソングの場合でもまったく同じように歌ったとしたら、きっと聞いている方も面白くないでしょう? その辺りに気付き、自分の何かを主張したい欲求が強まったとしたら? もがき続けながら、世界に向けて放つ。その際に誰かに気付いてほしい『何か』を乗せているとしたら?
草薙:ずいぶんと個人的思考によった推論ね。根拠としてはあまりにも弱いってわかってる?
トグサ:もしも俺の想像が正しいなら、『笑い男』は相当な苦しみを抱え込みながら、誰にも気づかれずに生きてきたはずです。いくつかの知識を得て、自分の置かれた状況を俯瞰して見ることが出来た。そして、目覚めた。
草薙:目覚めた?
トグサ:うまく言い表せないんですが、きっとこんな感じだと思うんです。外科手術の場合、痛みを感じさせないために麻酔を打つでしょう。精神的な痛みを緩和させるために彼自身で麻酔をかけた。感情に。それが徐々に戻り始めている。 それと同時に抑圧されていたものも目覚めた。きっと『恨み』です。 正直、俺はサリンジャーの短編はわからないところが多いです。ただ『笑い男』については一つだけピンと来たところがありました。 団長とメアリ・ハドソン、そして少年たち。団長が語る『笑い男』は、自身の周囲の状況によって変化していく。そこに彼も何かを見出したんじゃないでしょうか。 世界は全てつながっている。コンピュータやネットワークの話ではなく。人間がそこに生きているだけで世界には何らかの波紋が広がる。どこかに留まっているしかなくても、放つ何かによって世界が少しだけ揺らぎ、その揺らぎは自分に返ってくる。そこから、また見えるものも変わるかもしれない。 そんな風に考えたのかもって。自身の抑えようもない怒りや憎しみを『笑い男』という仮面で隠して発していく。むき出しのままでは自分をも破壊しかねない、ということもわかっているのかも。
草薙:それを直接確かめてきたい?
トグサ:はい。 草薙:いいわ。好きにしなさい。課長には私から言っておく。でも、一つだけあなたの考え、『ゴーストの囁き』を聞かせて。何故、今この時を選んだのだと思う?
トグサ:それは、まあ……恋でもしたんじゃないですかね?
(了)
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